アルコール星人(麦酒国大統領)のブログ

超3流のランナーの色々なブログです。

間もなく、あれから4年②

三浦●●さんは、東日本大震災で、曽祖母と祖父母、両親、それに妹2人の家族7人を失いました。
家族の中で、この日を迎えたのは三浦さん1人です。

「お別れの言葉。行ってきます。そう言って家をあとにしてから、早くも1年が経ちました。家族がいて、友達がいて、あしたが来る。そんな毎日が当たり前になっていました。それが覆されたあの日、私は家族7人と家を失いました」
「じいちゃん、たぶん一番、口げんかしたと思います。だから、たくさん生意気なこと言って、反抗的なことを言ったこと、今になって後悔してます。お父さんから聞きました。私が小さいころ、泣くと、仕事やめて飛んできたって。美咲って名前つけてくれたのも、じいちゃんでした。素直じゃない私だから言えなかったけど、ありがとう」

「酒豪なお父さん、毎晩飲んで、ごはんを一緒に食べることも少なかった。20歳になったら、一緒に飲んだりしたかったです。そうすれば、一緒の時間もつくれたよね」

「みき、どれだけ怖かった?考えるだけで守れなかったこと、悔しくてたまりません。楽しみにしていた小学校、本当なら今年は2年生でしたね。みき、生まれてきて幸せでしたか?6歳という年で旅立って、1000年に1度の大津波の被害にあって、それでも幸せだったかな?私はみきに出会えて幸せです。6年間という短い時間だったけど、同じ屋根の下で同じ時間を過ごせて私自身、幸せでした」

「みほ、小さいころから、何をするのも一緒でしたね。妹であり、部活の後輩。同じ部活に入るって知った時、みほの前では嫌な顔したけど、私のやっていたことを認めてくれた気がしてうれしかったです。高校でも一緒に部活をする予定でしたね。でも、かなわなくなってしまいました。高校受験までお母さんより口うるさく勉強しろって言ったのは、また一緒に部活がしたかったから」

「お母さん、うちの理解者で、理想で、憧れです。お母さんって呼びたくて、美咲って呼んでほしくて。恥ずかしくて言えなかったけど、本当に尊敬しています。お母さんみたいなお母さんになりたいです。生んでくれてありがとう」
「あの日から言えていない『ただいま』。家族に言う日がくるのは、まだ先のことだと思います。その日がくるまで、あしたがくることに感謝し、精一杯生きていきます」
18歳の少女が、愛する家族1人1人に別れの言葉をかけていきます。


「最後に、たくさんの方から『すごいね、強いね、偉いね』などの言葉をいただきました。でも、本当にすごいのは、私の家族だと思います。『すごいね』って言ってもらえる子どもを育てた私の家族はもっとすごくないですか?海。たくさんの大切な人や思い出を奪っていったけれど、私は海が好きです。母たちがいる海が、昔と変わらない海が、今もこれからも、ずっと大好きです。

平成24年3月11日。遺族代表、三浦●●」

これも、慰霊祭で読まれた追悼文です。
読まれた方は、防災に関する教訓は活かしていますか?